コラム
課題の分離
私は現在1歳児~成人の生徒さんのお稽古を担当していますが、
小学生の生徒さんたちを集中してレッスンに臨ませるのはなかなか大変です。
・レッスン上で必要な指示を与えても、「うん」や「はい」のお返事も返ってこない
・話を聞きながらあくびが出たり、時計をチラチラ横目で見る
・何か考えを求めても、自分の言葉で返ってこない
これは、コンクールに出場したい生徒さんでもよくある光景ですが、
小さな子どもたちのご指導をされている指導者の方は、皆さん悩まれることではないでしょうか?
いえ、指導者の方だけでなく、きっと保護者の方でも悩まれている方はたくさんいらっしゃいますね。
レッスンの途中で、お母さまが代わりに説明してくださったり、
帰りに今日はこういう状況だったためと謝罪を述べてくださる保護者の方も多くいらっしゃいますが、
私は保護者の方が謝罪をしてくださるたびに、本当に申し訳なく感じます。
それは子どもたち自身の問題であって、保護者の方が悪いところはないわけですから。
ですが、この関係が続いてしまうと、お家でも、
目標は高いはずなのに自主的に行動しない
↓
それでは良くないと注意を促すことで、反発を生み、言葉と行動が空回り
という悪循環ばかりが起こります。
自主性をもって、自ら考え、自らの行動を決めていける子に育むためには、
小学生になったら、日頃からどのような距離感で接するかが重要です。
アドラー心理学では、「課題の分離」という考え方がありますが、
今日はその課題の分離についてお話ししたいと思います。
課題の分離とは、「自分の課題と相手の課題をわけて考える」という、
アドラー心理学の理論の一つとして知られています。
ここで言う課題とは、目の前にある問題ややろうとしている事とお考え下さい。
幼稚園児までのうちは、考え方の価値観を教えてあげるためにも、
子どもたち自身に考えを委ねることは、まだ時期として早いかもしれません。
社会的価値観(物事の良い悪い等)が身に付いた時期からは、
日頃の接し方の中で、いま課題としてあることは、誰の課題なのかを、
子どもたちにもはっきりとさせておくことが、矛盾を起こさないためには重要です。
私が子どもの頃は、アドラー心理学が今ほど周知されていた訳ではありませんから、
母が知識があってしてくれていたことではないかと思いますが、私自身のことを具体的な例としてお話します。
私は、幼稚園児の頃からいろいろ習い事をさせてもらっていました。
そのすべてにおいて、母の考え方はいたってシンプルでした。
やってみたいことは応援する。でもやる気がないものは伸びないからやらせない。
幼稚園児の頃始めた習い事自体は、母が決めてくれていましたが、
習い始める前には、必ずやりたいかどうかの意思確認をされました。
ピアノは年中から始めましたが、習い始めて間もなくからピアノの先生になりたいと思うようになりました。
通っていた音楽教室が小学2年生で修了でしたので、祖母の知人の東京藝大を出ている方に
音大附属の音楽教室の先生をご紹介を頂いてからは、レッスンも自分の足で通いました。
仕事をもっておりました母でしたので、疲れて帰ってきて、すぐにみんなの夕食の準備をしなくてはいけない母を気に掛けて、練習もすすんで自分でしていました。
私の家は当時二棟に分かれていて、食事の支度をする建物とは別の建物にピアノがありましたから、かすかに音は聞こえていたかもしれませんが、何か練習しているものに対して言われたことも特にありません。
音大に進学するまで、母がピアノの先生と会うのは、一年に一度の発表会の時だけでした。
途中グランドピアノを4年生で用意してもらっていますが、
先生から「そろそろグランドピアノがいいかもしれないね」とお話があったと話しただけで、
母が先生にお聞きしたのは、どういう機種がいいのでしょうか?ということだけでした。
子どもの頃、ピアノに限らず、母からよく言われていた言葉がありました。
「やりたいことは応援してあげるから、やりたいのは自分なんだからしっかり先生の話を聞いてきなさい」
いつもその時々で、応援している気持ちを伝えてもらい、
頑張らなくてはいけないのは誰なのか、何のためなのかを明確にする機会がありました。
ずっとこの考え方で、進路についても先生との話で決めましたし、
両親には練習のこと、成績のことを聞かれたことは大人になるまでありませんでした。
ただ、ピアノの発表会や学校の行事となると、いつも祖父母、両親、妹全員で、
開場を待つ時間に真っ先に来て、会場の後ろの方に席を取り、みんなで見守ってくれているのが、
私が社会人となり、音楽教室に勤務してからも続きました。
恐らくは、子どもの頃からピアノの先生になりたいと言っていた私が、夢を実現した姿を見てくれていたのだと思います。
さすがに今は開場前一番前に並んではおりませんが(笑)
もしかしたら、子ども時代の私の話を「放任」とお感じになる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、私の心に芽生えていたものは、「一個人として尊重されている」ということ、
そして自分の夢を全力で応援してくれる人が両親。
叶えるために頑張るのは自分。
という想いが、いつも心の中にありました。
課題の分離の課題の分類について、アドラー心理学では、
自分でコントロールできることは、「自分の課題」
自分ではコントロールできないことは「相手の課題」
だと分けられています。
私の母の中では、本人にやる気がなければ伸びないし、実現しないから、
何か目標が決まったなら、必要な努力をするのは、やりたい本人。
頑張ることは変われないけど、応援をしてあげること。
そして、音大に行くまでにはそれなりの費用がかかりますので、
実現するために必要な費用を捻出するのは親の仕事。と考えていたのだと思います。
そばにいる親がそういう距離の取り方でしたから、
私の中にもまた「努力は叶えたい自分がするもの」
という気持ちがいつもありました。
子どもたちには自主的な考えを持って、目標を叶えて欲しい。
というお気持ちは、保護者の皆様は皆さん同じだと思います。
誰の課題かを明確にしてもらうことで、子どもたちの心には目的意識が生まれます。
そして、任せてもらうことで、
一個人として信頼されているのだという気持ちが、子どもたちの心には芽生えます。
課題の分離の考え方においては、
誰の課題なのか(誰がやりたいことなのか)を子どもたちに自覚させることは、最も重要です。
もし途中で気持ちが折れそうな時は、その時々で子どもたちに投げかけてあげてください。
任せるということは、時にはもどかしいこともあるかもしれません。
ですが、自ら考え、自らの行動を決めていける子に育むためには、
任せる=信頼が第一です。
小学生の生徒さんたちを集中してレッスンに臨ませるのはなかなか大変です。
・レッスン上で必要な指示を与えても、「うん」や「はい」のお返事も返ってこない
・話を聞きながらあくびが出たり、時計をチラチラ横目で見る
・何か考えを求めても、自分の言葉で返ってこない
これは、コンクールに出場したい生徒さんでもよくある光景ですが、
小さな子どもたちのご指導をされている指導者の方は、皆さん悩まれることではないでしょうか?
いえ、指導者の方だけでなく、きっと保護者の方でも悩まれている方はたくさんいらっしゃいますね。
レッスンの途中で、お母さまが代わりに説明してくださったり、
帰りに今日はこういう状況だったためと謝罪を述べてくださる保護者の方も多くいらっしゃいますが、
私は保護者の方が謝罪をしてくださるたびに、本当に申し訳なく感じます。
それは子どもたち自身の問題であって、保護者の方が悪いところはないわけですから。
ですが、この関係が続いてしまうと、お家でも、
目標は高いはずなのに自主的に行動しない
↓
それでは良くないと注意を促すことで、反発を生み、言葉と行動が空回り
という悪循環ばかりが起こります。
自主性をもって、自ら考え、自らの行動を決めていける子に育むためには、
小学生になったら、日頃からどのような距離感で接するかが重要です。
アドラー心理学では、「課題の分離」という考え方がありますが、
今日はその課題の分離についてお話ししたいと思います。
課題の分離とは、「自分の課題と相手の課題をわけて考える」という、
アドラー心理学の理論の一つとして知られています。
ここで言う課題とは、目の前にある問題ややろうとしている事とお考え下さい。
幼稚園児までのうちは、考え方の価値観を教えてあげるためにも、
子どもたち自身に考えを委ねることは、まだ時期として早いかもしれません。
社会的価値観(物事の良い悪い等)が身に付いた時期からは、
日頃の接し方の中で、いま課題としてあることは、誰の課題なのかを、
子どもたちにもはっきりとさせておくことが、矛盾を起こさないためには重要です。
私が子どもの頃は、アドラー心理学が今ほど周知されていた訳ではありませんから、
母が知識があってしてくれていたことではないかと思いますが、私自身のことを具体的な例としてお話します。
私は、幼稚園児の頃からいろいろ習い事をさせてもらっていました。
そのすべてにおいて、母の考え方はいたってシンプルでした。
やってみたいことは応援する。でもやる気がないものは伸びないからやらせない。
幼稚園児の頃始めた習い事自体は、母が決めてくれていましたが、
習い始める前には、必ずやりたいかどうかの意思確認をされました。
ピアノは年中から始めましたが、習い始めて間もなくからピアノの先生になりたいと思うようになりました。
通っていた音楽教室が小学2年生で修了でしたので、祖母の知人の東京藝大を出ている方に
音大附属の音楽教室の先生をご紹介を頂いてからは、レッスンも自分の足で通いました。
仕事をもっておりました母でしたので、疲れて帰ってきて、すぐにみんなの夕食の準備をしなくてはいけない母を気に掛けて、練習もすすんで自分でしていました。
私の家は当時二棟に分かれていて、食事の支度をする建物とは別の建物にピアノがありましたから、かすかに音は聞こえていたかもしれませんが、何か練習しているものに対して言われたことも特にありません。
音大に進学するまで、母がピアノの先生と会うのは、一年に一度の発表会の時だけでした。
途中グランドピアノを4年生で用意してもらっていますが、
先生から「そろそろグランドピアノがいいかもしれないね」とお話があったと話しただけで、
母が先生にお聞きしたのは、どういう機種がいいのでしょうか?ということだけでした。
子どもの頃、ピアノに限らず、母からよく言われていた言葉がありました。
「やりたいことは応援してあげるから、やりたいのは自分なんだからしっかり先生の話を聞いてきなさい」
いつもその時々で、応援している気持ちを伝えてもらい、
頑張らなくてはいけないのは誰なのか、何のためなのかを明確にする機会がありました。
ずっとこの考え方で、進路についても先生との話で決めましたし、
両親には練習のこと、成績のことを聞かれたことは大人になるまでありませんでした。
ただ、ピアノの発表会や学校の行事となると、いつも祖父母、両親、妹全員で、
開場を待つ時間に真っ先に来て、会場の後ろの方に席を取り、みんなで見守ってくれているのが、
私が社会人となり、音楽教室に勤務してからも続きました。
恐らくは、子どもの頃からピアノの先生になりたいと言っていた私が、夢を実現した姿を見てくれていたのだと思います。
さすがに今は開場前一番前に並んではおりませんが(笑)
もしかしたら、子ども時代の私の話を「放任」とお感じになる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、私の心に芽生えていたものは、「一個人として尊重されている」ということ、
そして自分の夢を全力で応援してくれる人が両親。
叶えるために頑張るのは自分。
という想いが、いつも心の中にありました。
課題の分離の課題の分類について、アドラー心理学では、
自分でコントロールできることは、「自分の課題」
自分ではコントロールできないことは「相手の課題」
だと分けられています。
私の母の中では、本人にやる気がなければ伸びないし、実現しないから、
何か目標が決まったなら、必要な努力をするのは、やりたい本人。
頑張ることは変われないけど、応援をしてあげること。
そして、音大に行くまでにはそれなりの費用がかかりますので、
実現するために必要な費用を捻出するのは親の仕事。と考えていたのだと思います。
そばにいる親がそういう距離の取り方でしたから、
私の中にもまた「努力は叶えたい自分がするもの」
という気持ちがいつもありました。
子どもたちには自主的な考えを持って、目標を叶えて欲しい。
というお気持ちは、保護者の皆様は皆さん同じだと思います。
誰の課題かを明確にしてもらうことで、子どもたちの心には目的意識が生まれます。
そして、任せてもらうことで、
一個人として信頼されているのだという気持ちが、子どもたちの心には芽生えます。
課題の分離の考え方においては、
誰の課題なのか(誰がやりたいことなのか)を子どもたちに自覚させることは、最も重要です。
もし途中で気持ちが折れそうな時は、その時々で子どもたちに投げかけてあげてください。
任せるということは、時にはもどかしいこともあるかもしれません。
ですが、自ら考え、自らの行動を決めていける子に育むためには、
任せる=信頼が第一です。